ついに登場 Super Express Sinkansen! [地域]
3月14日、ついにわがまちにも新幹線がきました。
50年もの悲願であります。
50年後はどんなまちになっているでしょうか。
ちょっと想像もできないな。
金沢や富山などが、食傷気味にテレビなどに取り上げられているけれど、こちらも負けていません。
北陸といえば、美味しい魚介類や米、日本酒など、思い浮かべる方が多いと思いますが、それだけではありません。ぜひおいでください。
おまけに梅が咲いていました。
50年もの悲願であります。
50年後はどんなまちになっているでしょうか。
ちょっと想像もできないな。
金沢や富山などが、食傷気味にテレビなどに取り上げられているけれど、こちらも負けていません。
北陸といえば、美味しい魚介類や米、日本酒など、思い浮かべる方が多いと思いますが、それだけではありません。ぜひおいでください。
おまけに梅が咲いていました。
雪灯籠 [地域]
雪灯籠。聞きなれないでしょうが、雪国のイルミネーションともいうのでしょうか。
日本各地では、冬になるとイルミネーションが街を照らします。華やかですね。
雪灯籠は、雪の中に灯る小さい灯火。ほんわか暖かい温もりを感じます。
冬の寒がりがちな心を暖めます。
子供達が、スキー発祥100年に灯された灯火から火をもらって、雪灯籠に届けます。
建物の回廊にも、公園の歩道にも、灯されます。
メインはライトアップされた三重櫓。
豪雪地のほっとする行事でした。
日本各地では、冬になるとイルミネーションが街を照らします。華やかですね。
雪灯籠は、雪の中に灯る小さい灯火。ほんわか暖かい温もりを感じます。
冬の寒がりがちな心を暖めます。
子供達が、スキー発祥100年に灯された灯火から火をもらって、雪灯籠に届けます。
建物の回廊にも、公園の歩道にも、灯されます。
メインはライトアップされた三重櫓。
豪雪地のほっとする行事でした。
まち歩き3 [地域]
これから2つの寺は、全国的にも有名な人ゆかりの寺です。
まずは観音寺。この寺は源義経が奥州落ちのときに、宿にした寺です。この寺の前には、追っ手から逃れるため刀や鎧などを隠した池があります。
次は松尾芭蕉です。寺の名前は聴信寺。今は新しい土蔵ですが、当時も立派だったんでしょうか。
まずは観音寺。この寺は源義経が奥州落ちのときに、宿にした寺です。この寺の前には、追っ手から逃れるため刀や鎧などを隠した池があります。
次は松尾芭蕉です。寺の名前は聴信寺。今は新しい土蔵ですが、当時も立派だったんでしょうか。
まち歩き2 [地域]
上越市最大の祭り「祇園祭」は、祭りの前半を高田に出張して行う珍しい祭りです。
祭りの歴史は平安時代末からと言われていますが、高田城下へ出向くようになったのは、慶長19年(1614)に徳川家康の六男松平忠輝が高田に城を移してからのことです。
長く越後を治めた上杉景勝が会津に移封(後に米沢)され、代って入った堀氏は慶長12年(1607)に越後福島城(直江津の東側)を築城します。堀氏の改易後に松平忠輝が入り、その後高田に城を築きます。その高田城は今年開府400年ということになります。(開府400年のことは後日書きます)
高田へ城が移るにあたって、新しい城下町を造るために直江津や福島城下の町を高田へ移動させ、繁栄策として各種商権も高田城下の独占とし、街道も高田経由としました。
その中で、八坂神社も高田へ移るように言われましたが神官は頑として動かず、願い出て高田へ出張して祇園祭を行うようになりました。
祇園祭の象徴、八坂神社
八坂神社の彫刻
すごく精巧です。文化財にならないのかな。
参道にある商店。昭和時代を彷彿させますね。
祭りの歴史は平安時代末からと言われていますが、高田城下へ出向くようになったのは、慶長19年(1614)に徳川家康の六男松平忠輝が高田に城を移してからのことです。
長く越後を治めた上杉景勝が会津に移封(後に米沢)され、代って入った堀氏は慶長12年(1607)に越後福島城(直江津の東側)を築城します。堀氏の改易後に松平忠輝が入り、その後高田に城を築きます。その高田城は今年開府400年ということになります。(開府400年のことは後日書きます)
高田へ城が移るにあたって、新しい城下町を造るために直江津や福島城下の町を高田へ移動させ、繁栄策として各種商権も高田城下の独占とし、街道も高田経由としました。
その中で、八坂神社も高田へ移るように言われましたが神官は頑として動かず、願い出て高田へ出張して祇園祭を行うようになりました。
祇園祭の象徴、八坂神社
八坂神社の彫刻
すごく精巧です。文化財にならないのかな。
参道にある商店。昭和時代を彷彿させますね。
まち歩き [地域]
今日は、わがまちの都市拠点の1つ、直江津の散策です。
直江の津は、奈良時代には「水門(みなと)」と呼ばれるまちとして全国に知られていました。
越後国府・国分寺の地として、室町時代には越後守護所の地として多くの役所や安国寺など寺院が建ち並び、宗祇(そうぎ:1421年〜1502年)室町時代の連歌師や堯恵(ぎょうえ:1430年〜没年不詳 室町時代中期の天台宗の学僧・歌人)、万里集九(ばんりしゅうく:1428年〜没年不詳室町時代の禅僧、歌人)などの文人墨客が訪れています。
これらの人たちは都の最先端の文化を伝え「越後府中文化」の華を咲かせました。
戦国時代に春日山城を居城にした上杉謙信、景勝も、この軍事力を支える港町として重視し、厚く保護をしています。
上杉氏の会津移封(後に米沢)、堀氏による越後福島城築城、江戸時代の高田城築城によって政治の中心は高田に移りますが、直江津は北前船の寄港地になるなど、藩を支える海運の基地として明治に至ります。
その歴史などを辿る直江津まち歩きを紹介します。
まずは直江津駅。
20年前はこんな駅でした。直江津駅は、明治26年に日本列島を横断する唯一の鉄道である信越本線の開通によって、海と陸を結ぶ鉄道のまちとして大きく発展することになります。現在の近代的な建物とは違って、質素な2階建ての建物でした。
その直江津駅前にある、森光子記念碑です。
この日は森光子が放浪記2000回上演記念で建てられました。放浪記の主人公、林芙美子が直江津に縁があるということで、森光子直筆の書を彫ったものです。
老舗ホテルイカヤの煉瓦塀です。
この地は大火が多かったため、煉瓦塀を建てたのだそうです。
次に続く。
直江の津は、奈良時代には「水門(みなと)」と呼ばれるまちとして全国に知られていました。
越後国府・国分寺の地として、室町時代には越後守護所の地として多くの役所や安国寺など寺院が建ち並び、宗祇(そうぎ:1421年〜1502年)室町時代の連歌師や堯恵(ぎょうえ:1430年〜没年不詳 室町時代中期の天台宗の学僧・歌人)、万里集九(ばんりしゅうく:1428年〜没年不詳室町時代の禅僧、歌人)などの文人墨客が訪れています。
これらの人たちは都の最先端の文化を伝え「越後府中文化」の華を咲かせました。
戦国時代に春日山城を居城にした上杉謙信、景勝も、この軍事力を支える港町として重視し、厚く保護をしています。
上杉氏の会津移封(後に米沢)、堀氏による越後福島城築城、江戸時代の高田城築城によって政治の中心は高田に移りますが、直江津は北前船の寄港地になるなど、藩を支える海運の基地として明治に至ります。
その歴史などを辿る直江津まち歩きを紹介します。
まずは直江津駅。
20年前はこんな駅でした。直江津駅は、明治26年に日本列島を横断する唯一の鉄道である信越本線の開通によって、海と陸を結ぶ鉄道のまちとして大きく発展することになります。現在の近代的な建物とは違って、質素な2階建ての建物でした。
その直江津駅前にある、森光子記念碑です。
この日は森光子が放浪記2000回上演記念で建てられました。放浪記の主人公、林芙美子が直江津に縁があるということで、森光子直筆の書を彫ったものです。
老舗ホテルイカヤの煉瓦塀です。
この地は大火が多かったため、煉瓦塀を建てたのだそうです。
次に続く。
遅ればせながら [地域]
桜前線も北海道へ渡りましたが、遅ればせながら我が町の夜桜です。
ライトアップやぼんぼりによって、とても妖艶です。何か起こりそうですね。
年配のご夫婦も、ハートの電飾の中でにっこり。
ライトアップやぼんぼりによって、とても妖艶です。何か起こりそうですね。
年配のご夫婦も、ハートの電飾の中でにっこり。
100万人観桜会 [地域]
桜が咲き誇る最高の瞬間がやってきました。我が町でも、満開です。
ピンクの桜と、遠くの雪が残る山。春真っ盛りという言葉がぴったりです。
この公園の象徴的なしだれ桜です。
紅しだれ桜です。ピンクが濃いので、惹かれます。
桜のトンネル。夜になるトライとアップされた桜の下を歩くのも最高です。
ピンクの桜と、遠くの雪が残る山。春真っ盛りという言葉がぴったりです。
この公園の象徴的なしだれ桜です。
紅しだれ桜です。ピンクが濃いので、惹かれます。
桜のトンネル。夜になるトライとアップされた桜の下を歩くのも最高です。
ようやく満開 [地域]
こちらも、平年より1週間くらい遅れて、桜が満開になりました。先週末は、すごい人出でした。僕らも繰り出しました。天気も良かったし、満開だし、最高の夜桜となりました。
山間地は、これからが本番となります。GW中に、山の桜を撮りに行きたいな。
山間地は、これからが本番となります。GW中に、山の桜を撮りに行きたいな。
今年も大雪だったなあ。 [地域]
日本三大夜桜の一つ、新潟県高田公園で、雪の回廊が行われました。ここは、春には3000本の桜が咲き、100万人もの人が訪れますが、まだ2メートルも積雪があります。(2月中旬)
雪の灯籠に明かりをつけ、雪国の防寒着「角巻き」を着て、歩く人を撮ってみました。
昭和初期には、「この下に高田あり」といわれたほどの豪雪でしたが、今年は例年に比べ多かったものの、除雪技術が向上したせいもあって、電線をまたいで道を通ることはなくなりました。
ぼんぼりの明かりは春の息吹を感じますね。
雪の灯籠に明かりをつけ、雪国の防寒着「角巻き」を着て、歩く人を撮ってみました。
昭和初期には、「この下に高田あり」といわれたほどの豪雪でしたが、今年は例年に比べ多かったものの、除雪技術が向上したせいもあって、電線をまたいで道を通ることはなくなりました。
ぼんぼりの明かりは春の息吹を感じますね。