まち歩き2 [地域]
上越市最大の祭り「祇園祭」は、祭りの前半を高田に出張して行う珍しい祭りです。
祭りの歴史は平安時代末からと言われていますが、高田城下へ出向くようになったのは、慶長19年(1614)に徳川家康の六男松平忠輝が高田に城を移してからのことです。
長く越後を治めた上杉景勝が会津に移封(後に米沢)され、代って入った堀氏は慶長12年(1607)に越後福島城(直江津の東側)を築城します。堀氏の改易後に松平忠輝が入り、その後高田に城を築きます。その高田城は今年開府400年ということになります。(開府400年のことは後日書きます)
高田へ城が移るにあたって、新しい城下町を造るために直江津や福島城下の町を高田へ移動させ、繁栄策として各種商権も高田城下の独占とし、街道も高田経由としました。
その中で、八坂神社も高田へ移るように言われましたが神官は頑として動かず、願い出て高田へ出張して祇園祭を行うようになりました。
祇園祭の象徴、八坂神社
八坂神社の彫刻
すごく精巧です。文化財にならないのかな。
参道にある商店。昭和時代を彷彿させますね。
祭りの歴史は平安時代末からと言われていますが、高田城下へ出向くようになったのは、慶長19年(1614)に徳川家康の六男松平忠輝が高田に城を移してからのことです。
長く越後を治めた上杉景勝が会津に移封(後に米沢)され、代って入った堀氏は慶長12年(1607)に越後福島城(直江津の東側)を築城します。堀氏の改易後に松平忠輝が入り、その後高田に城を築きます。その高田城は今年開府400年ということになります。(開府400年のことは後日書きます)
高田へ城が移るにあたって、新しい城下町を造るために直江津や福島城下の町を高田へ移動させ、繁栄策として各種商権も高田城下の独占とし、街道も高田経由としました。
その中で、八坂神社も高田へ移るように言われましたが神官は頑として動かず、願い出て高田へ出張して祇園祭を行うようになりました。
祇園祭の象徴、八坂神社
八坂神社の彫刻
すごく精巧です。文化財にならないのかな。
参道にある商店。昭和時代を彷彿させますね。
2014-09-25 18:41
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コメント(3)
今は彫り物をする大工やお社を建てる宮大工はほとんどいなくなりました。
日本の文化遺産です。
by Baldhead1010 (2014-09-26 04:33)
>のあさん、toraneko-toraさん、シフルさん、niceありがとうございます。
by littleducks (2014-09-27 23:23)
>ころくまさん、niceありがとうございます。
by littleducks (2014-10-02 22:15)