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まち歩き [地域]

今日は、わがまちの都市拠点の1つ、直江津の散策です。
直江の津は、奈良時代には「水門(みなと)」と呼ばれるまちとして全国に知られていました。
越後国府・国分寺の地として、室町時代には越後守護所の地として多くの役所や安国寺など寺院が建ち並び、宗祇(そうぎ:1421年〜1502年)室町時代の連歌師や堯恵(ぎょうえ:1430年〜没年不詳 室町時代中期の天台宗の学僧・歌人)、万里集九(ばんりしゅうく:1428年〜没年不詳室町時代の禅僧、歌人)などの文人墨客が訪れています。
これらの人たちは都の最先端の文化を伝え「越後府中文化」の華を咲かせました。
戦国時代に春日山城を居城にした上杉謙信、景勝も、この軍事力を支える港町として重視し、厚く保護をしています。
上杉氏の会津移封(後に米沢)、堀氏による越後福島城築城、江戸時代の高田城築城によって政治の中心は高田に移りますが、直江津は北前船の寄港地になるなど、藩を支える海運の基地として明治に至ります。
その歴史などを辿る直江津まち歩きを紹介します。

まずは直江津駅。
直江津駅.jpg

20年前はこんな駅でした。直江津駅は、明治26年に日本列島を横断する唯一の鉄道である信越本線の開通によって、海と陸を結ぶ鉄道のまちとして大きく発展することになります。現在の近代的な建物とは違って、質素な2階建ての建物でした。

その直江津駅前にある、森光子記念碑です。
森光子記念碑.jpg
この日は森光子が放浪記2000回上演記念で建てられました。放浪記の主人公、林芙美子が直江津に縁があるということで、森光子直筆の書を彫ったものです。

老舗ホテルイカヤの煉瓦塀です。

イカヤの煉瓦塀.jpg

この地は大火が多かったため、煉瓦塀を建てたのだそうです。

次に続く。
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Baldhead1010

木造建築がどんどん失われて行きますね。

木の文化の國が泣いています。
by Baldhead1010 (2014-09-22 04:11) 

littleducks

>Baldhead1010さん、ありがとうございます。そうですね、やっぱり日本の建物は木造でないと。
by littleducks (2014-09-23 17:11) 

littleducks

>toraneko-toraさん、niceありがとうございます。
by littleducks (2014-09-25 17:56) 

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